今日は久しぶりに山手線に乗った。
相変わらずの人ごみだなぁ、と思うのはいつものことだが、
今日はなぜかニオイが気になった。
 
いや、正確に言うとニオイが気にならなかった。
 
そういえば、いつも乗っている路線では、
電車の入り口に足を踏み入れた時点で
あぁ、そうくるか、と主張してくるイヤなニオイにちょいと憂鬱になる。
 
ほぼ毎回、憂鬱になる。
 
でも不思議なもんで、乗って数分経つと、
慣れなのか何なのか、さほど気にならなくなる。
 
これは「キニナラナクナール」の効能によるものなのか。
バッファロー吾郎
たまにキニナラナクナールも効かないほどの強敵が現れる場合があるが
その時は自分のツキのなさを嘆くしかない。
 
気にならなくなって暫くして、目的駅に到着し、
閉ざされた空間から開放され、外気に触れると、
緑に囲まれた大自然にいるかのような、
新鮮な空気を吸い込んでいる錯覚に陥る。
そこで、徐々に自分の鼻がもとに戻っていくことを体感する。
 
そして、日はまた昇り繰り返していく。
 
その感覚が、今日久々に乗った山手線にはなかった、気がする。。
 
あれかな。
 

いつもはA→B→C線というように電車を乗り継いでいるところを、
今日は、A→山手線というように乗り継いだわけなんだけど、
Aでのニオイに対する慣れをそのまま引きずって、
山手線に乗ったがために、ニオイが「ない」ように感じたのか。
シャンプーを変えた一日目は、
「すっげーいいニオイする俺の髪」と思うが、
二日目はさほど感じなくなるあの感覚と同じか?
 
そうすると、Aのニオイ=山手線のニオイという図式が
成り立つことになるが、それも少し違う気がする。
シャンプーの例えも下手な気がする。
 

では単純に、今日乗った山手線の車両には
たまたまニオイを発する人が少なかっただけなのか。
 
いや、そうすると、毎回ニオイを感じるAでは、
毎回、ニオイを発する人が乗っている車両に導かれるように
乗ってしまっているということになる。
それも少し違う気がする。そんな導きはいらない。
 

とすると、電車自体が?
 
確かに、A線のホームは、
錆びた部分につけるとヨシとされるクレ556的なニオイがする気がする。
 
しかし、そもそもニオイの質が違う気がする。
そうすると、やはり原因は他にあることになる。
 
慣れ、でもなく、人、でもなく電車でもなく。
 
でもうすうす感付いている。
 
答えは②だってこと。
自分もそうこうしているうちに、
ニオイを発する側の人間になるってこと。
 
30過ぎたんだから、ニオイ的なケアも必要になってきたことを
肝に銘じなければいけないってこと。
 
洗濯する時の柔軟剤の減りが異様に早い、今日この頃です。
 
ソイヤ